おかきのひとりごと

ねえちょっと聞いてよ٩( ᐛ )وなことを書くブログです。

2020

 

 

いやーーー2020でした。あけおめでした(過去形)

 

 

 

本年は酒友達が多く、ずっとお酒を飲んでいたらもう10日も元旦から経ってしまっておりました!!

 

 

 

でも本当楽しくて!もう持ち寄るおつまみが美味しすぎて!!

 

 

ある意味とてもリア充なお正月でございました。

 

 

 

今年の抱負は1人で福岡に行く事と外国語1つマスターすることです!

 

 

 

あとやっぱり人が好きな私は沢山の人と関わり沢山の人の話を聞いていきたいと思います。(酒と共に)

 

 

 

きっと今年も落ち込むこと、沢山あるのでしょう。

 

 

泣く事も多いでしょう。

 

 

でも自分のレベルを上げないと周りの環境のレベルも上がらないから。

 

 

私は自分自身のレベル上げに専念して新しいものや知らないものに沢山興味を持てる1年であるといいなと願っています。

 

 

あ、そう。私は最近1つ友人を通して気が付いた事があります。

 

 

自分に自信や守るものがあると文章が変わるんです。

 

 

とても柔らかい文章を書くようになるのを目にして、心情ってこういったところにも表れるのだなと思いました。

 

 

私も今年は尖らず優しい文章を書く人になれたらな・・・(遠い目)

 

 

そんなこんなで、本年もよろしくお願いいたします!

 

季節の速さ

 

 

 

人生でこんなになった事はないんじゃないかと思うほどに体調を崩しました。

 

 

体調のせいで家で過ごす事が増え、ここ最近は外に出る事が少なかったので寒くなった実感はなかったのですが先日外出したら服のミスチョイスで寒すぎて震えました。ちゃんと秋到来してた。(実感が遅い)

 

 

 

最近は映画を観たりバーでお酒を飲んで知らない人と仲良くなったり大人の優雅な時間を楽しんでいます。

 

 

 

焼き芋のカクテルを飲んだんですけど最高においしかった・・さつまいもの季節なんですね。

 

 

 

私はピスタチオが好きで、バーのマスターがいつも私のオリジナルでピスタチオのカクテルを作ってくれるから毎回そればかり飲んでたのですが焼き芋も本当おいしくて飲みすぎました。

 

 

でね、私がバーで飲むの好きになったのには2つ理由があって。

 

 

1つ目は毎回知らない人に出会えること。

年上の人が多いから男女ともに様々な世界を教えてくれて本を読んでるような気分になります。

お酒に詳しい人がとにかく多くて、それに伴って歴史の話とかマスターがどこで入手したとかRPGゲームみたいなの。

その空間がたまらなく好きです。

 

 

2つ目は帰り道に見る星がとても綺麗なこと。

 

寒くて空気が澄んでるからか深夜は星が良く見えます。

お酒で寒さが緩和されて、歩きながら帰るのがとても楽しいんです。

花鳥風月を完全に楽しむ事のできる大人になりました。

 

 

 

去年の自分は今何をしていたかとふと気になって調べてみたら、恋愛に浮かれたただのJK状態だったのですが今となってはその思い出もとても良い酒のつまみです。

 

 

やはり何もない人生より何かあった人生だなと改めて思います。

 

 

その芯は今年もぶれていないです。

 

 

バーで出会ったお姉さんに言われました。

 

 

「もしも人生に迷ったら自分の周りの人を見なさい。周りの人は自分の鏡だから。良い人に囲まれていると感じたら間違っていないと信じなさい。」

 

 

ここ何年かで一番腑に落ちた言葉でした。

 

 

 

大人になると新しい関係を築くのがどうしても億劫になります。

それはその人の人生を知らないから。一から始めるのはとてもエネルギーが必要だから。

でも私はやはり人が好きで、人と話すのが好きだなと改めてここ数日思うんです。

だから怖がらずそして振り返らず沢山の人に出逢って沢山の人の人生に交差していきたいなと・・・・いうのが来年の抱負。(早い)

 

 

私が深海や宇宙が好きなのって答えがなくて終わりがないからかもしれません。

視野が狭くなると息苦しくてしんどいんです。

どうせこの時代に生まれたのだから、そして私に生まれたのだから、ぶれずまっすぐに年末まで突き進んでいきます!

終わりよければすべてよしです。

 

 

インフルエンザが流行りだしましたね!みなさんお気をつけて!

私も気を付けながらこじんまりと生きてまーす!では!

10月

 

 

 

気が付けば10月で寒くて震えています・・。

 

 

 

怒涛の2週間を過ごし、人生で一番痩せていて見事有村架純になりました(なっていない)

 

 

 

結局信じられるものは昔からの友達だけだという事を皮肉にも学んだ9月。

 

 

10月は親友の誕生日が続き、感謝をとにかくする日々でした。

 

 

 

友達って有難い。昔からの知り合い、親戚、家族は有難い。

 

 

 

とても落ち込んでいる私に沢山の人が知恵や楽しい日々を提供してくれて、チャレンジする機会も与えてくれて、実り多い10月半ばを迎えています。

 

 

 

落ちた時、一緒に落ちてくれるのが本当に大切にすべき人だなと思いました。

 

 

 

本当に本当に本当に心の底から私は運が良い。

 

 

 

運で生きていると言っても過言ではないです。

 

 

努力を人生でしてこなかった私に、皆がいくつもの手を貸してくれて、私は恩を返しきれません。

 

 

 

でも一生をかけて返していきたいと、今回の件で思いました。

 

 

皆忙しいのに、大変なのに、時間を割いて、時間を作って、有難いとしか言いようがないです。

 

 

 

そういう気持ちに改めて気が付いた、人の気持ちが、体温がこんなに温かい事、私は忘れていました。

 

 

まだ人を信じる事が出来ません。

 

 

でも信じたい。この世には良い人が沢山いて、これから先の出逢いもきっと素敵なものがあるという事を私は信じたい。

 

 

人と自分を比べて卑屈になったりねたんだり、そんな人にはなりたくはありません。

 

 

好きなものと好きな人に囲まれて、生まれ持った運とこれからの私の努力で皆に微力ですが恩返ししていきたいと思っています。

 

 

 

助けてくれた人、心配してくれた人、ありがとう。

 

 

私はあなたたちがいたから今ここにいます。

 

 

1年

 

 

 

ブログを開始してから1年が経ったようです!

 

 

わー!おめでたい!!!三日坊主の私がこんなに続くなんて!

 

 

 

といっても毎日更新してるわけではないし休止してた期間もあるので、本当に1年ですかと問われたら戸惑いますが(笑)

 

 

 

1年前、初めてアップした記事は婚活パーティの記事だっけな?

 

 

本当は亡くなった彼の話がしたかったのに、書くのが怖くて結局謎のネタ話を前編、後編にわたってお送りしていた気がします。

 

 

 

そこから【たまに思い出す人】という名前で記事をアップし沢山の方から共感、意見、様々なお言葉をいただきましたし、このブログを読んでくださる人が増えたのもその記事がきっかけです。

 

 

 

このブログね、一個一個記事を泣きながら消したはずなのに、彼の記事だけが下書きとして残っていたんです。不思議じゃないですか?

 

 

世の中には説明のつかない不思議な事が沢山あるけど、驚きました。

 

 

 

勿体ないので再公開はせず独り占めさせて頂きますが(笑)

 

 

 

あとはaikoミスチルへの愛を語ったり四季折々の思い出話。

 

 

たまに目にした景色。

 

 

 

年末年始はとても好きな人がいてその人との思い出でいっぱいでしたね。

 

 

あの経験もまた良かった。

 

 

 

寂しさ、辛さ、家族の難しさからちょっとお酒を飲みすぎてマーライオンになった日もありました。

 

 

 

私が思い出せる範囲ではそんな感じだったけど、ほかに何か印象的な記事はありましたか?

 

 

 

この1年、もし何が変わったのかと問われたら私にはキラキラした宝物が沢山ある事に気が付きました。

 

 

人を嫌いになった日もありました。なぜ自分が悪いわけではないのに自分の楽しみを奪われなきゃいけないのだろうと。

 

 

でもSNSがなくなった日々も案外身軽でラクなもんです。

 

 

 

そして優しい人が沢山いる事にも気が付きました。

 

 

この夏から秋にかけ、セミの鳴き声と共に私は一皮むけた気がします。

 

 

 

全て自分が成長するための必然だったのかもしれません。

 

 

 

だってあの後から出会った方々は皆天使のように美しいから。

 

 

 

今日は私が応援している人のお誕生日です。

 

 

笑顔が似合う努力家です。私も見習って、そして自分というものをきちんと持って何が起こってもぶれない大人になっていこうと思います。

 

 

 

気が付けば秋が来ていて、【たまに思い出す人】を書いた日と同じような涼しい日々でまた私は彼を思い出します。

 

 

 

でも悲しくはないんです。きっと彼が良い縁を運んできてくれている気がするから。

 

 

 

そう思えるまでにかなりの時間がかかりました。

 

 

 

もちろん涙が出る日もあります。まだあの笑顔に会いたくなる日は数えきれない程あります。

 

 

人を亡くすのはとても悲しく人格も変えてしまう、しかし私は彼が好きだった私のままでいたい。

 

 

 

前に進み、進みまくり、彼をびっくりさせてやろうと。

 

 

 

間違った原動力かもしれません、でもブログを始めて1年経過した新しいおかきは今とても幸せだということ。

 

 

これからもっと幸せにしていくということ。

 

 

 

彼に宣言してやります。

 

 

 

あなたがいたからブログを始めました。あなたがいたから私は広い世界を見ました。

でも今の私はあなたよりもっと広い世界を知っているんですよ?

楽しかった話、辛かった話、聴きたいでしょ?

 

 

それは次会う時までのお楽しみです。(笑)

 

 

きっとまた泣きじゃくって、もう嫌だとイヤイヤ期に突入するかもしれない。でも見守っててね。そして少しだけ背中を押して、私はやらなきゃいけない時はやる子だったでしょ?

 

 

 

1年で人は成長します。それは何歳であっても。

 

 

 

優しい人、辛いときに手を差し出してあげる事の出来る人になりたいです。

 

 

私はいつも手を貸してもらう側だったから。

 

 

1年、こんな駄文だらけのブログを読んでくださって本当に感謝でしかありません。

 

 

私の人生は続きます。是非みなさんも「ふーーん」と思いながら読んでくださると光栄です。

 

 

いつもありがとうございます。

 

 

 

 

 

大好きという気持ち

 

 

 

「26になった自分は20歳の自分とどこがどう変わったかな?」と振り返ってみました。

 

 

 

20歳の時は大人の一員になれた様な気がして勢いがあれば不可能な事などないんじゃないかって本気で思っていました。

 

 

見た目もその当時は全然思わなかったけど、マスカラがんがんでチークバリバリのギャルっぽいメイクでした。(笑)

 

 

 

サッカーが好きだった私は日本中を飛び回り、勝ち負けに一喜一憂し、レバンドフスキに出逢い、勢いのままドイツ、イギリスに渡りました。

 

 

入国審査も一番イケメンの人のところに走って並んで、つたない英語で笑いながら会話して、本当勢いで生きていた。怖いものなどなかったです。

 

 

そして好きなもの、大好きな人は沢山いました。

 

 

だからこその勢いだったのかもしれないですね。

 

 

振り返ればその頃から私の人生のジェットコースターの様なストーリーは始まりました。

 

 

よく知人に皮肉にも似たような感じで言われるんです。

 

 

「おかきは持っている人間だよね」と。

 

 

確かに私は人より知識もないし勉強もできないし引きこもりだし、でもなぜか毎回良いもの、良い縁を引き寄せる。

 

 

それは日々努力している人から見ると、とても不快に思えるものなのかもしれません。

 

 

私がおかきならもっと勉強するのに。とか、もっと仕事頑張るのにとか。外に出るのに。とか。

 

 

親友以外の身近な人には高い確率でそう思われていると自覚しています。もしかしたら親友も裏ではそう感じているかもしれません。優しいから見せないだけで。

 

 

 

でもこれがオカキなんです。で、きっとこんな私だからこそ良いもの、良い縁を引き寄せているのだと思うんです。

 

 

 

多数の人からこの前、めちゃくちゃ嫉妬の目を向けられました。

 

 

人生であんなに睨まれた事はないって位で震えました。

 

 

 

でも貴重な経験でした。(笑)

 

 

 

本音を言えば少し心が悲しくなったけど、睨む側ではなく睨まれる側に選ばれた自分を誇りに思いたい。

 

 

大好きなもの、大好きな人がいると、人は異常なほどに頑張る事ができます。

 

 

20歳の時の私がそうであったように。

 

 

 

26の私は自分自身を大好きでいてあげたい。自分を幸せにしてあげたい。

 

 

そう感じています。

 

 

だから人からの嫉妬の目や皮肉の声は見ないふり、聞こえないふりをします。

 

 

 理由は簡単です。

 

 

私は私だから。

 

 

 

好きな人を大事に。そしてその縁を大切にしていきたいです。

 

 

 

話は戻りますが、20歳の時と26歳の違い。

 

 

●人間関係が変わった。

●人は裏切る事を知った。

●昔からの友人の大切さを何倍も感じるようになった。

●涙もろくなった。

●人は突然いなくなる事を知った。

●いつまでも大切な時間は続かないという事、今ある環境に感謝しなきゃいけないという事を知った。

●親友の子供が可愛くて仕方がない(おばさん)

 

 

案外大人になっていますね。

 

 

 

きっとまた30になった時、26歳の自分を振り返って「あの時は若かった」と私は話すのでしょう。

 

 

 

おかきはおかきらしく、人に優しく、自分にも優しい大人になりたいものです。

 

 

とても幸せな事に今の私には大好きな人が沢山います。

 

 

その中の一人でもあるオカキが尊敬する師匠は今日が30歳の誕生日。おめでとう。幸多き1年になりますように!!

 

ありがとう平成!

 

 

 

生まれてから26年過ごしてきていた平成が今日で終わります。

 

 

なんかテレビとか世間が、年末年始みたいですね。

 

 

「もう年末年始から1年経ったのか!?」と一瞬戸惑いました。

 

 

少し昔の映像を見て振り返ると携帯やパソコンなどの電化製品は全てスマホやノートパソコンなどに軽量化され、車は自動運転なるものがうまれ、ドラえもんみたいな未来もあながち嘘じゃないなというか、時代と共に歩んでいると衰えと同じように進化にも気が付きにくいんですね。

 

 

30年程で文明ってこんなに発展するんだなぁと感じました。

 

 

私の人生において一番最初の記憶は、おかあさんといっしょの歌のお兄さんとお姉さん。

 

 

次にしまじろうの教育ビデオ。

 

 

そしてセーラームーン

 

 

セーラームーンは本当に好きだったなぁ。今でもグッズを見ると嬉しくなるんです。

 

 

誕生日にセーラームーンの変身コンパクトやステッキを買ってもらって、買ったばかりのステッキで変身ごっこをしまくって、夕飯の肉じゃがに落として母に怒られて泣いた思い出。

 

 

「月に変わってお仕置きよ★」をあの時期言っていた回数ランキングがあったとしたら私は確実に上位に食い込むだろうと思います。

 

 

それほど毎日セーラームーンに変身していました。

 

 

アイスはトムとジェリーのぐるぐるアイスが好きで。

 

 

小学校ではトリビアの泉伊藤家の食卓が流行った。

 

 

給食の時には青いベンチが流れていた。

 

 

CDを持ち歩き、CDプレーヤーやコンボで音楽を聴いていたこと、MDが発売し友達と好きな音楽を交換した事。

 

 

シールをむやみやたらに貼りまくったシール帳。なぞのシール交換。

 

 

プリクラは1日に10回撮った日もありました。

 

 

制服のカーディガンはユニクロのLサイズのピンクを着てる子が可愛い子だったこと。

 

 

遊ぶ約束は友達の自宅の電話番号を暗記して自宅からかけたこと。

 

 

 

長電話をして携帯代が大変な事になったこと。Eメールの題名の”Re:”が何個も並ぶ事が少し嬉しかった事。

 

携帯が当たり前のように普及しストラップを鬼のようにつけていた時期。

 

スマホが登場して携帯は板のように薄くなり、いつしか音楽もワイヤレスイヤホンで聴くことができて、世界中の人と話が出来て、ゲームができて、プリクラよりも可愛く写真を撮ることができる。

 

こんな日がくるなんて、きっとセーラームーンの変身をしている頃の私に話しても信じないでしょう。

 

 

 

信じられない事が30年ほどで起こる。

 

 

災害やテロが世界的に多くて、「もう地球はなくなるんじゃないか」と思った時もあったけど戦争はなかったこと。

 

 

ミサイルは飛んだけど、でも戦争という悲惨な戦いを目の当たりにする事はなかったこと。

 

 

ゆとり世代だと言われる事もありますが、でも私はとても平和な世代に生まれたと誇りをもって言う事ができます。

 

 

 

そしてその平和な時間が明日からもどうか続きますように。

 

 

私たちが今日まで見てきた、感じてきた、人の優しさ文明の進化が、どうか人を殺める為ではなく世の為人の為に次の世代に引き継がれますように。

 

 

未来は見えないから怖いものです。

 

 

でも進むしかない。

 

 

元号が令和になっても私は私であり続け、新しいものを否定せずに受け入れられる人でありたいなと思います。

 

 

平成でのブログは以上!!

 

 

天皇陛下ありがとうございました。私たちはきっとこの平和をつないでみせます。

 

 

左の人 右の人 ふとした場所できっと繋がってるから

片一方を裁けないよな 僕らは連鎖する生き物だよ

(Mr.Children/タガタメ)

 

 

 

平成

 

 

 

今週のお題「平成を振り返る」

 

 

 

 

私は平成4年に生まれました。

 

 

物心ついた頃から「生まれたのは平成です!」って意味も理解せぬまま当たり前に平成を使っていて、昭和は大人の人が使う言葉だと思っていたから、今回元号が変わる事にソワソワした感覚をおぼえます。

 

 

私も大人になったんだなぁ。いや今はまだ平成だから、なるんですね。これから大人に。

 

 

毎日のようにフリータイムでカラオケに行っていた友達も、夜中までファミレスで愚痴り合った友人も結婚をして子供が歌を歌うほど大きくなっていたり、これから出産という一大イベントに挑んだり、気が付かないうちに夢物語のように話していた事が現実になりつつある日々です。

 

 

平成の思い出、、そうだな私は生まれてからずっと平成だったから全部が思い出だけれど。

 

 

何故か一番記憶に残っているのは大好きだった母の方の祖母が亡くなった事かな。

 

 

52歳という若さで肺がんで亡くなった祖母はそれはそれは破天荒でした。

 

 

私が小学1年生くらいだったから7歳くらいで亡くなったのかな?

 

 

もう20年前くらいですね。

 

 

気が付けば自分の父が今、その祖母よりも年上で不思議な気持ちです。

 

 

親戚や家族に話を聞くともう本当破天荒な人で、エピソードが尽きません。

 

 

そんな祖母の記憶は7年しか一緒にいなかった私の脳裏にも焼き付いていて離れません。

 

 

乗りこなせない自転車で幼稚園まで送ってくれて、幼稚園前で思い切りすっ転んだ事。

 

 

幼稚園の帰りに恐らくスーパーで買ってきたであろうイカの天ぷらを食べ歩きした事。

 

 

ビールを”ガソリン”と呼んでいたこと。

 

 

ホットケーキの焼き方。多分焼いたの初めてだったんでしょう。真っ黒に焦げました。(笑)

 

 

畑をしていた祖母は沢山の種類の野菜を育て、夏になると収穫を手伝わせてくれた。

 

 

その畑のもぎたてのプチトマトの味。どこのスーパーで買ってもどんなに高いお金を払って取り寄せてもあの味のトマトはなくて、懐かしいです。

 

 

あ、あと丸かじりしたラディッシュはとても辛いこと。

夏の夕日に照らされた台所で汗をかきながら夕飯をつくる姿。煮魚の香り。

 

 

よくもまぁ覚えているなぁと思います。

 

 

それはきっと過ごした時間は短かったけれど、とても私を愛してくれていたからです。私もとても祖母が好きだったからです。

抱きしめてくれたとかそういうものではなくて、なんだかカリスマ性がある人でした。

 

 

あまりに好きすぎて父の方の祖母が嫉妬したほどです。

 

 

 

「私だってセーラームーンのおもちゃ買ったりしてるのに何でそっちの祖母なのか」と。

 

 

何故なのか最近わかりました。

 

 

多分知らない世界を沢山みせてくれたからです。

 

 

亡くなるまで私はずっと祖母の病室で寝泊まりしていました。病院もそれを許してくれていました。長くないって分かっていたからでしょう。

 

 

祖母の入院食も全部食べました、私が。(笑)

 

 

その私を見て笑った祖母の顔も簡単に思い出せる。カキフライが食べたいと空港でカキフライを食べたこと。

 

 

急変する前日も毛糸でぬいぐるみを作るおもちゃで遊びました。

 

 

 

 

1999年12月26日、クリスマスを避けて、そして2000年の世界を見ずに祖母は亡くなりました。ノストラダムスの大予言、うちの祖母の事じゃない?(笑)

 

 

冗談は置いといて、、、

 

 

 

冗談でする話でもないけど。(笑)

 

 

 

はじめて死を目にしました。

 

 

 

でも涙は出ませんでした。葬式も。火葬も。骨になっても。

 

 

あの頃から私は変わらない。人前で泣くのが苦手です。

 

 

でも火葬の日に見た虹を私ははっきりと記憶しているんです。

 

 

煙の横に縦に伸びる長い虹を。

 

 

めちゃくちゃに綺麗で感動した幼い私は「天国へのエレベーターだね!」と言いました。

 

 

大人になって、ふと思い出して調べてみました。

 

 

あの虹は幻日《げんじつ》というそうです。

 

 

あれ以上に綺麗な虹は、その後見ていません。

 

 

オカルトですけど、やはりカリスマ性のある人だったんだと思います。

 

 

今26歳になった私は鏡を見ると、祖母に瓜二つでハッとします。

 

 

親戚に「生き写しだ」と言われます。

 

 

性格も強気で無鉄砲でお風呂で泣く所、少し似ているかも。(笑)

 

 

生きるとは引き継ぐ事だなと思います。

 

 

平成、恐らく私の両親は私たちを大きくするために悲しみを越え、苦しみも耐え、無我夢中で走ってくれた事でしょう。

 

 

だから、今度は私たちが走る番なのかもしれません。

 

 

 

平成、とても幸せで、とても悲しく、とても暗く、そしてとても眩しい日々でした。時代でした。

 

 

あ、まだ終わってないんだった(笑)

 

 

思い残すことはないけれど、私も祖母のように良くも悪くも何かを誰かに引き継げますように。

 

 

トマト育てようかなーー。

 

 

でもあの味にはならないんだよな。